タイトルが思いつきません。

出産、育児、保活の備忘録として始めてみましたが、2021年から乳がん闘病記に。

放射線治療まとめ・ホルモン治療開始

放射線短期照射16回+追加照射5回 計21回終了して、今日で約10日です。

 

放射線治療のまとめ。

・18回目くらいまでは、ほぼ副作用なし。うっすら赤み程度。

・19回目くらいで、乳頭に少し痛み。赤くなってる。擦れて痛みが出ているとのこと。抗生物質ステロイドの塗り薬を処方され、1日2回塗る。我慢できないほどの痛みではない。

・終了後1週間くらいで、追加照射部分の皮膚に軽い痒み。上記の薬を塗る。やはり我慢できないほどではない。

・終了後10日の現在、全体照射した部分は赤→薄茶に変わりつつある。全体照射部分は痒みも痛みも一切なし。赤いだけだった。

・治療中、気持ち悪さやだるさはほぼなし。5回目くらいで、少しだるさを感じたけど、生活に支障ない程度。

肌が弱いので心配してましたが、大した副作用はなかったです。

終了後〜終了2週間後くらいが副作用のピークらしいので(つまり今)、これで終わりかな?と思ってます。

 

どんな治療に関しても言えますが、副作用のブログとかを見ますと、強い副作用の人が多く見つかるので、治療中に見るとすごく不安になります。

副作用軽い人は、わざわざ書かないのかもしれないね、って看護師さんと話してました。

だから、軽いけど記録しておこうと思いました。大丈夫だった人もいるよ、って。

 

放射線治療終了後の翌日から、ホルモン治療が始まりました。

私は30代のため、リュープリン注射(2年間)+タモキシフェン服用(5年間)。

生理が終わったばかりなので、次の生理はもう来ないかも、とのこと。ちょっと寂しい。

リュープリン注射、お腹にブスッと刺されて驚き。お腹に注射って初です。

結構痛いけど、もちろん手術や点滴よりマシ。不思議なのが、注射した周りが翌日まで痛かったこと。ズキズキしてた。

リュープリン注射は、初回は1ヶ月製剤で様子を見て、大丈夫そうだったら次回から3ヶ月製剤になるとのこと。

 

ホルモン治療の副作用について、薬剤師さんから説明を受けました。

・最も多いのは、ホットフラッシュ(ほてり、のぼせ、発汗)。重度の人は少ないが発生頻度は高い。

・他には、頭痛、肩こり、気分の変化、体重増加、不眠など。

・頻度は低いが、緊急性があるのは血栓。片足がむくむ、痛む場合は至急連絡を。

・不正出血が起こることもあるが、緊急性はない。子宮体癌のリスクは50歳以下の人には関係ないとデータが出ており、心配しないように。

 

ホルモン治療の副作用は個人差が大きく、どういう人が出やすいのか、正確な発生頻度などは分かっていないそう。

抗がん剤と違い、すぐに副作用が出るわけではなく、1〜2ヶ月後に副作用が出る人もいる。このタイミングも分かっていないらしい。

ただ、リュープリン+タモキシフェンの人は発生頻度が高いとのこと。副作用がひどい場合は、リュープリンだけ休止すること人もいるとのこと。

職場に復帰することもあって、不安が募る。もともとPMSで偏頭痛が酷いので、悪化したら困るー!

お医者さんには、生理が止まるからPMSは良くなるんじゃ?と言われる。なるほど、そういう可能性もあるか。

 

ホルモン治療の副作用も心配で、ブログなどを読み漁っていたんだけど、途中で心配することに飽きて、考えても仕方ないっしょ、という境地に至る。

自分のコントロールできないことを考えても仕方ない。体重管理や運動、ストレスを溜めないなど、できることをするだけだ!

エクエルというサプリだけ購入して、治療直前から飲み始めた。病院によっては、お勧めしてるらしい。私の病院では特に勧められなかったけど、薬剤師さんに言ったら「イソフラボンは効果の数値が出始めてるので良いかも」と言われたので飲むことにした。

豆乳も飲んでるけど、これは私が単に好きなだけ(^_^;)

もし、続けられないほどの副作用が出た時のために、お医者さんに下記だけ聞いておいた。

・私のがんは、ホルモン治療で再発率がどのくらい下がるのか?

→ホルモン治療無しで、再発率10%くらい。ホルモン治療有で、5%までいかないくらい。半分まではいかないと思う。

なるほど、完治90%を93〜94%にする治療って感じか。生活に支障が出たら、止めようと心に決める。(もちろん誰にも言ってないし、余程のことがなければ続けるつもりですが…)

 

ホルモン治療開始から約10日の現在。

・副作用らしいものは、今のところ全くない。ホットフラッシュさえない。

・強いていえば、偏頭痛が一度あった。生理周期的には来ない時期のはずなのに。

・体重は毎日朝晩測るようにしてるが、今のところ変動なし。

このまま行ければ良いけど、そーもいかないか?看護師さんには、仕事復帰したらどうしてもストレスあるから、影響するかもしれないと言われている。

今のところ、不眠やうつ症状などの生活に影響する副作用がなければ、もちろん続けるつもり。

明日から仕事復帰。仕事がどうこうというより、仕事と育児の両立ができるかが心配。。健康体でも結構辛かったんですけど。

共働きはマジで寿命縮めて頑張ってるんだなと…。生きてなきゃ何もできないのに、そこまでして何のために頑張るのか、しばし考え込んでしまった。

子供の成人する姿を見たいなぁ。

でもやっぱり仕事が好きなんだよね。職場の人も好きだし、役に立ちたい。

病人だから足を引っ張るかもしれないけど、再発したりして、もう普段の生活送れなくなりました…ってなるまでは、働くつもり。

家事は手を抜いていこう。具合悪かったら休ませてもらおう。

やっぱ手術は序章に過ぎなかった(放射線〜11回目まで)

3月下旬に手術して、4月10日過ぎから仕事復帰して、GW明けから放射線治療で再度休職中。

手術でパッと取って終わりでしょ!と思ってた3月の私に喝を入れたい〜

こっからが長いし、精神的にクル。

 

いや、放射線治療自体は今のところ余裕なんです!

私は、短期照射(16回)+追加照射(5回)=計21回で、今11回終わったところ。平日は毎日通院。

9回目くらいでうっすら赤くなってきて、でもまだ痛みや痒みはない。

だるさも、5回目前後でちょっと感じたけど、今はあまり感じない。副作用的には余裕!

これなら仕事行けたと思うけど、人生でそうそうなる病気じゃないし、職場も休んでいいよって言ってくれたのでお言葉に甘えました!!

 

しかし、仕事休んでる分、時間があり過ぎて、病気のこと調べるし考えるし。

癌になってから1回しか泣かなかったのに、その1回も手術の傷が痛くて(胸より脇の下が痛い!!)思うように動けず泣いただけなのに。

放射線入ってから、色々考えちゃって、気分が滅入り気味。

 

あぁ、当然続いてくと思ってた私の人生は、皆より早く終わってしまうんだろうか。

今後、身体の不調が出るたびに再発に怯えるのだろうか。

可愛い4歳の息子の、成人した姿は見れるのだろうか。

仕事が大好きなのに、職場のお荷物になってしまうんだろうか。

 

とくに最初のやつで。

例えば、人生のマラソンが100キロあるとして、寿命が80歳として、今38だから45キロ地点あたりかな?と思ってたんですよ。いや、意識すらしてなかったんですけどね。

仲良い友人や同僚と、色々文句言いながらも、80〜90キロ地点くらいまでは一緒に走れると思ってて。

そしたら、自分のコースは100キロも無いかもしれない。もしかしたら50キロ、60キロで終わりかもしれない。

そんな気持ちで。そうだったら、寂しいなぁって。

ステージ2Aだから、実際はすぐ死ぬことはないと思うんだけど。

余談ですが、人生を何に例えるのが良いのか難しかったです。山登り?って思ったけど、頂上が死っていうのも違う気がするし。

 

でも、意識しないだけで、健康な人だって明日生きてるか分からないし、人間の致死率は100%だから、一緒なんですけどね。

死を意識して暮らさない、ってすごく有り難いことだったのね。

死んでも後悔する生き方はしてないつもりだけど、でもやっぱ長生きしたいよ。

痛くて苦しくて死ぬのは嫌だよ。

まだまだ、やりたいこと沢山あるよ。

この経験を活かしたいよ。

 

でも癌になって感傷的にならない人ってたぶんいないと思うし、こんな自分もいて良いって、自分は受け止めてあげたい。

宣告されてから、ずっと頑張ってきたよ。仕事の引継もちゃんとして、手術の傷も乗り越えてきたよ。

辛くても痛くても、感謝の気持ちを忘れずにいたよ。

えらいぞ自分!すごいぞ自分!

えー、本日は以上です。

感謝は悲嘆に勝るもの

乳がん宣告から約1月、まだ1月しか経っていないのかと驚かされる。1月で遠いところまで来てしまったようだ。

 

私は、乳がんと分かってから、実は一度も泣いていない。(感謝の念で涙することはあった)

がんと宣告されると、目の前が真っ白になるとか、涙が止まらないと聞いていたのに、一体なぜ。

いつになったら目の前は真っ白になるのか?結局、手術が終わっても真っ白になることはなかった。

同僚や友人からは不思議がられる。自分も当初は不思議であり、何か我慢しているのか、見ないふりをしているのかと思っていた。

でも、いくつか思い当たる節がある。その気持ちをリアルタイムで記しておこうと思う。

 

一つには、がんになったことは誰のせいでもないこと。

ご存知と思うが、がんは細胞のミスコピーによるもの。

私は肥満でもないし、暴飲暴食もしてないし、確かに共働きでストレスは抱えているが、それも人並みのものといえる。

私、悪くなくない?交通事故に遭ったようなもの。30代で罹患したのは確かに不運といえるが、交通事故は相手を選ばない。しかも加害者は細胞だし。

それに、落ち込むと、がんの思う壺というか、落ち込んでも落ち込まなくても身体は変わらないし、何なら不利になる。加害者を喜ばせるようなことはしたくない。

 

二つには、乳がんは制限が少ないこと(と私は判断した)。

なに、乳房がなくなる(部分的にか全面的にかは違うが)とはいえ、手足があり、声も出せて、目も見えて、耳も聞こえ、傷が癒えれば歩くことも走ることもできる。

内臓や血液の病と違って、食べてはいけない物もない。(太ってはいけないらしいが)

手足を失うとか、喋れなくなるとかでないなら、あらゆる大病の中では、しめたものではないかと思っている。

 

三つには、不確定かつ不安な情報を得る前に、正確な情報を得たこと。

乳がんが判明して、わたしは結構周りに話したのだが、その中に、奥さんが乳がんになって治療を終えたばかりの先輩がいた。

その先輩から、乳がんにはタイプがあること、タイプによって治療が違うこと、抗がん剤はやはり辛いものであること、などを聞くとともに、初心者向けの冊子をお借りした。

まずこれを読んで、ネットの情報の前に正確な知識を得られたことが大きかった。

今も、不安な時にググるのはできるだけ控えている。ネットには不確定で不安な情報が多いから。

不安な時、ネットで調べて、さらに不安が増したことしかない。

見るときは、公的機関かせめて医療機関の情報にしている。私には、見ない自由がある。

 

四つには、この経験が必ずプラスになると考えていること。

乳がんになったことは辛いけれど、人生の中で一番辛かったことではない。一番は、妊娠5ヶ月で第一子を亡くしたことだ。

私は、覚えている限りでは、がん罹患は4度目の辛い経験であり、4つの中では上から2番目か3番目だと思っている。

誰だって、30〜40年生きていれば、何度か、忘れられない辛い経験があるはずだ。

失恋でも失業でも不合格でも、何でも良い。中には、解決方法のないものや、二度と取り返せないもの、亡くなった人に関するものもあるだろう。

それに比べれば、解決方法はあるし、お医者さんが一緒に考えてくれるし、治療するかしないかなんて(私は)迷う余地はないし、割とシンプルな課題ではないか。

 

そして、この辛い経験は、必ず自分を成長させてくれると確信している。

私は未熟者なので、経験しないと想像できない。辛い経験をせずに、他人の気持ちを想像できるほど、できた人間じゃないのだ。

この病気になって、数多くの人に励まされ、沢山の贈り物をいただき、沢山の人が私たち家族のために力を貸してくれた。

この経験は無駄にならない。今までの辛い経験もそうだった。

同じ思いをする人がいたら、今度は私が力になる。元気になったら仕事で恩返しする。

 

自分や自分の家族は、周りに支えられている。それを知ることができた。

千羽鶴を折ってくれた後輩、療養期間を楽しく過ごせるように、お勧めのアニメや漫画を教えてくれた後輩、私の好きなキャラのグッズを送ってくれた先輩や同僚。

母不在の家庭を思って、子どもと遊ぶと言ってくれた同期、美味しい冷凍食品を送ってくれた学生時代の友人たち。

ゆっくり治しておいでと言ってくれた上司、毎日無事を祈ると言ってくれた元上司。

馴染みの歯医者さんや美容師さんまで、私の無事を祈ってくれた。

がんと診断されてから、この1月は、感謝に満ちている。わたしは、悲しみや混乱の中にいたわけではないのだ。

私は、わたしの家族は、周りの人があって成り立っている。それを改めて知ることができた。

ごめんねより、ありがとうを言おう。

どうも感謝の念は、悲嘆より強いらしい。

残念だったな、がん細胞よ。

乳がん その1(判明した経緯)

2020年11月、胸に痛みを感じる。

触ってみるとしこりがあるではないか。結構大きい。3センチくらい?

げっと思ったものの、以下理由によりあまり焦らず。

・以前にもしこりができ、慌てて乳腺外科へ行ったが「生理前後だと正常な判断ができないため様子を見てください」と言われたことがあった。その時のしこりは消えた。

乳がんは痛くないとの噂

・1月に会社の婦人科検診があるので,その時に聞いてみよう

 

1月の検診が仕事の都合で2月に延びてしまった。

その間もしこりは消えなかった。

2021年2月10日、会社指定の健診クリニックにて受診。

女医さんが「これは、、不安になったでしょう」と優しく声をかけてくれる。「エコー次第ですけど、再検査と書いておきます」とさらりと言われた。

エコーは大変丹念に行われた。しこりのある右と、ない左では、かける時間が3倍くらいか?

この時点でもまだ「しこりはほとんどが良性です」というネットの情報を信じて、特に深刻に捉えず。

 

この健診クリニックは綺麗で便利な場所にあり、毎年利用していた。例年、受診後1ヶ月ほどで自宅に結果が届く。

ところが、受診から約10日後の金曜日、仕事中に携帯へ電話がかかってきた。

「先日受けていただいた検診の結果について、医師から直接お話がありますので、月曜16時に来てください」

電話かかってくることなんてあるのか。こ、これはまずい感じ?と思ったが、

まぁ、病院で再検査しろってことよね、そんな詳しくわかるわけないし!

と、この時点でも謎のポジティブ。

 

月曜16時、軽い気持ちで健診クリニックへ向かう。

先日と違う先生、ぴったり付き添ってくれる看護師さん。あれ、何かやな予感。

「本日お呼びしたのは、画像をお見せして直接説明したかったからです。」

といって、エコーの画像を見せられる。

「ここにしこりがあります。大きさは約3センチ、形がいびつであり、中に石灰化が見られます。これは、悪性の特徴に合致します」

おおう。何だって。そんな話だったとは!でも、うちの家系がん罹患者全然いないんですよ。乳がんなんて1人もいないし。良性の可能性もあるのでは?

「1年前の画像には全くありません。良性なら、大きくなるスピードが緩やかなので、1年前に何らかの形跡があっても良いと思います。確かに、葉状腫瘍という急激に大きくなる良性腫瘍もありますが、これも摘出が必要です」

マジかー。更に色々聞いてみたら、5年生存率の話とされて、更に驚き。

紹介状を書くのでどこか行くあてはあるか、とのこと。

この時ショックだったのは、「長い治療になりますので、自宅からアクセスの良い所が良いですよ」と言われたこと。

え、取って終わりじゃないのー?!

私はテンパリが表に出ないタイプなのだが、このがん告知シリーズの中で、おそらくこの時が1番テンパっていて、誰もいない待合室で「マジか、マジか」を連呼していた。

困ったことになった。仕事はどうすればいいんだ?おまけに今から保育園のお迎えなんだが。

しかし病院の予約をせねばならない。どうやら急ぎらしいし。

紹介状を書いてもらっている間に大病院の予約を取る。我ながら、なかなか冷静な判断。

普通に保育園のお迎えへ行った。

夫にラインする。いつも通りの日常に、突如がんが乱入してきた。

乳がんになりました

ネタが尽きない人生なのでしょうか。

乳がんになってしまいました。

38歳になったばかり、親族にがん罹患者ほぼなし、親はもちろん祖母(大正生まれ)も存命だというのに、孫ががんトップバッターと相成りました。

昨年取った足裏ほくろとは関係ないようです。

30代ワーママ、乳がんとは中々レアな経験な経験ではないか?少なくとも自分の周りにはまだいない!

入院していて暇である!

暇つぶしが誰かの役に立ったら良いな。

以上の理由により、何個か記事を書いてみようと思います。

ちなみに今、手術後です。動けない、眠くない、お腹すいた、ヒマです。

足裏のほくろの手術を受けました③(術後の経過)

手術から約2週間経ち、仕事も復帰しましたので、術後の経過を残しておきたいと思います。

仕事は、退院から4日ほどお休みをいただきました。

 

退院した日(手術翌日)は、まだ痛みもあり、足裏(私の場合は右足の裏の前部分)を付けないため、かなり歩行は辛かったです。

病院内を移動するのも一苦労、重心がかかる右足の踵と左足がピリピリしました。

退院翌日(手術から2日後)は痛みはだいぶ引きましたが、移動はやはり大変で、家の中の階段が辛かったので、ベッドに横になって本を読んで過ごしました。

椅子に座って足を下にすると痛むので、多くの時間は横になっていました。

料理もできないので、せめて洗濯でもと思ってやりましたが、干すのが一苦労でした。

シャワーは退院当日から浴びて良い、患部も洗うようにと言われましたので、そのようにしました。

退院当日と翌日は痛くて沁みましたが、3日目には沁みなくなりました。

 

手術から3日目になると、椅子に座るのも大丈夫になり、午前中は勉強して、午後は漫画を読んだりしました。

GEOのレンタルコミックは自宅に配送してくれるので大変嬉しいサービスでした。

退院前に手配して、気になっていた漫画を一気読みしました。

普段仕事と育児に明け暮れているので、こんなに自分の時間があるのは産後初めてで嬉しかったです笑

この期間中、お迎えに行ってくれた夫と母に感謝感謝。

 

6〜7日目にはほぼ普通に歩けるようになり、パンプスは履けません(履かないよう言われた)でしたが、スニーカー通勤で行けました。

走れないので、いつもより早めに家を出て、空いている路線で行きましたが。

あんなにザックリ切られてもここまで回復するなんて、人間の回復力ってすごい!

足裏のほくろの手術を受けました ②手術編

さて、一泊2日の入院ということで、朝10時に病院へ到着。手術は15時からとのことで、相当な時間が。

 

部分麻酔のため、食事制限もなし。

全くの健康体のままパジャマに着替え、お昼をいただく。

手術後は歩けないだろうと思い、あらかじめメイクを落とし顔を洗っておきました。

診察やら手続きやらで病室から出られない。

スマホがあって良かった〜。時間潰しに困りませんね。

 

手術自体は簡単だけど、他の方のブログを読んだところ、下記2点が懸念事項。

・麻酔がメッチャ痛いらしい。

足裏は顔よりも敏感な部分のため(くすぐられたら辛いもんね)、麻酔液を入れる時がかなり痛いらしい。しかも何回も打つらしい。

・術後の麻酔が取れた後も結構痛いらしい。

全然平気という人もいれば、眠れないほど痛いという人もいた。もちろん鎮痛剤はもらえるけど。

 

15時半、看護師さんに呼ばれる。ドキドキ。

緊張してます、麻酔痛いんですよね。って聞いたら、

1本目だけですよ、頑張って!と言ってもらえる。優しい・・!毎日沢山の患者さん見てて、私なんぞ大した手術でないだろうに。

頑張ります!と言って処置室へ。褒められると頑張るタイプ笑

簡単な手術なので、オペ室ではなく外来の奥にある処置室へ。

 

ベッドでうつ伏せになる。

これ、マッサージと同じ体勢や・・内容は真逆に近いけど。

消毒して、ほくろの周りをマジック?で点線を書いてる。見えないけど。

術後痛いですか?と聞いたら、

傷が縦長なので、割と痛みは少ないですよ!幅が大きい場合は、皮膚を寄せないといけないから、もっと痛いんです。ラッキーですね!

と言ってもらえる。先生も優しい。

 

「では、麻酔入れますね。ここが今日の頑張りどころですよ〜」

あ、針痛い・・おぉっ、イタタターっ!!液が入る時が超痛い!!針でグリグリされてるやつー!

と思いつつ、私は痛みで声が出ないタイプなので、

おぉーっ・・これは痛い・・!なるほどですねー。

とか言ってしまう。看護師さんに「おっ、強いですね!」と褒められる・・。ありがと〜

全部で3回打ちましたが、2回目の途中からはもう麻酔が効いてきて、3回目は刺してる感触もなし。

超痛かったのは1回目だけ、賞味1分くらいですね。

 

麻酔効いてるかな?と周りを針でツンツンされますが、もちろん効いてるので何も感じず。

切開へGO。

切ってる感覚はほぼなかった。スイーって何か入れられてる気はした。

意識を患部へ向けないよう、直前まで読んでたウェブ漫画の続きを想像する。

最近、転生ものの漫画すごく増えたよね。

やっぱり現実に夢を持てなくなってきてるからかな?

また転生ものかぁと思いつつ、RPG好きだからつい読んじゃうのよね・・とか。

 

いつのまにか切開は終わり、先生は縫い始めている。

縫ってる感覚は分かる。自分の皮膚に糸を通して、スイースイーと縫ってるのが分かる。

想像したくないので、また漫画のことを考える。ありがとう転生漫画!

 

縫合も終了して、包帯ぐるぐる巻きにされ終了!

足に麻酔が効いてるので、病室までの帰りは車イスで運ばれる。

3時間くらいしたら、麻酔が切れて少し痛くなってきた。ズキズキ、裂傷ぽい痛み。まぁ切って縫ってるから痛いのが普通よね。

眠れないほどではなかったけど、一応鎮痛剤を飲んで就寝。

普段は夫と子どもも一緒に寝てるから、1人のベッドなんて何年ぶりかな?

痛みより日頃の疲れと眠気が勝って、熟睡しました笑

 

手術後に切った破片も見せてもらった。

結構深いところまで切ってあって、まぁこれは痛いよなぁと思いました。

出産に比べれば傷も小さいしね!足裏ってのが難点だけど。

最後に、ほくろさんさようなら、と言ったら先生と看護師さんも笑ってくれました。

和やかな手術!麻酔の1回目以外は笑

 

夕ご飯も完食。薄味だけど、温かいし十分美味しいー!

誰かに作ってもらえるご飯って何でこんなに美味しいのかしら。

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