感謝は悲嘆に勝るもの
乳がん宣告から約1月、まだ1月しか経っていないのかと驚かされる。1月で遠いところまで来てしまったようだ。
私は、乳がんと分かってから、実は一度も泣いていない。(感謝の念で涙することはあった)
がんと宣告されると、目の前が真っ白になるとか、涙が止まらないと聞いていたのに、一体なぜ。
いつになったら目の前は真っ白になるのか?結局、手術が終わっても真っ白になることはなかった。
同僚や友人からは不思議がられる。自分も当初は不思議であり、何か我慢しているのか、見ないふりをしているのかと思っていた。
でも、いくつか思い当たる節がある。その気持ちをリアルタイムで記しておこうと思う。
一つには、がんになったことは誰のせいでもないこと。
ご存知と思うが、がんは細胞のミスコピーによるもの。
私は肥満でもないし、暴飲暴食もしてないし、確かに共働きでストレスは抱えているが、それも人並みのものといえる。
私、悪くなくない?交通事故に遭ったようなもの。30代で罹患したのは確かに不運といえるが、交通事故は相手を選ばない。しかも加害者は細胞だし。
それに、落ち込むと、がんの思う壺というか、落ち込んでも落ち込まなくても身体は変わらないし、何なら不利になる。加害者を喜ばせるようなことはしたくない。
二つには、乳がんは制限が少ないこと(と私は判断した)。
なに、乳房がなくなる(部分的にか全面的にかは違うが)とはいえ、手足があり、声も出せて、目も見えて、耳も聞こえ、傷が癒えれば歩くことも走ることもできる。
内臓や血液の病と違って、食べてはいけない物もない。(太ってはいけないらしいが)
手足を失うとか、喋れなくなるとかでないなら、あらゆる大病の中では、しめたものではないかと思っている。
三つには、不確定かつ不安な情報を得る前に、正確な情報を得たこと。
乳がんが判明して、わたしは結構周りに話したのだが、その中に、奥さんが乳がんになって治療を終えたばかりの先輩がいた。
その先輩から、乳がんにはタイプがあること、タイプによって治療が違うこと、抗がん剤はやはり辛いものであること、などを聞くとともに、初心者向けの冊子をお借りした。
まずこれを読んで、ネットの情報の前に正確な知識を得られたことが大きかった。
今も、不安な時にググるのはできるだけ控えている。ネットには不確定で不安な情報が多いから。
不安な時、ネットで調べて、さらに不安が増したことしかない。
見るときは、公的機関かせめて医療機関の情報にしている。私には、見ない自由がある。
四つには、この経験が必ずプラスになると考えていること。
乳がんになったことは辛いけれど、人生の中で一番辛かったことではない。一番は、妊娠5ヶ月で第一子を亡くしたことだ。
私は、覚えている限りでは、がん罹患は4度目の辛い経験であり、4つの中では上から2番目か3番目だと思っている。
誰だって、30〜40年生きていれば、何度か、忘れられない辛い経験があるはずだ。
失恋でも失業でも不合格でも、何でも良い。中には、解決方法のないものや、二度と取り返せないもの、亡くなった人に関するものもあるだろう。
それに比べれば、解決方法はあるし、お医者さんが一緒に考えてくれるし、治療するかしないかなんて(私は)迷う余地はないし、割とシンプルな課題ではないか。
そして、この辛い経験は、必ず自分を成長させてくれると確信している。
私は未熟者なので、経験しないと想像できない。辛い経験をせずに、他人の気持ちを想像できるほど、できた人間じゃないのだ。
この病気になって、数多くの人に励まされ、沢山の贈り物をいただき、沢山の人が私たち家族のために力を貸してくれた。
この経験は無駄にならない。今までの辛い経験もそうだった。
同じ思いをする人がいたら、今度は私が力になる。元気になったら仕事で恩返しする。
自分や自分の家族は、周りに支えられている。それを知ることができた。
千羽鶴を折ってくれた後輩、療養期間を楽しく過ごせるように、お勧めのアニメや漫画を教えてくれた後輩、私の好きなキャラのグッズを送ってくれた先輩や同僚。
母不在の家庭を思って、子どもと遊ぶと言ってくれた同期、美味しい冷凍食品を送ってくれた学生時代の友人たち。
ゆっくり治しておいでと言ってくれた上司、毎日無事を祈ると言ってくれた元上司。
馴染みの歯医者さんや美容師さんまで、私の無事を祈ってくれた。
がんと診断されてから、この1月は、感謝に満ちている。わたしは、悲しみや混乱の中にいたわけではないのだ。
私は、わたしの家族は、周りの人があって成り立っている。それを改めて知ることができた。
ごめんねより、ありがとうを言おう。
どうも感謝の念は、悲嘆より強いらしい。
残念だったな、がん細胞よ。